【そのまま読みい入れてほしい守護水の物語】


私達人間が、このように、ここに存在して生きているのは、生まれてきたからです。

そりゃそうだろうという声が聞こえてきそうなくらい、そりゃそうだろうのことを言っています。

生まれてこなければ、今ここにこうしていないわけですし、生まれてきたからこそ、今ここに居るのです。


ただ、生まれてくるということのためには、生まれてきてもいいという状態までの形にならなければ、私達は生まれてこなかったのですし、このことが成されなければ、私達は、今ここに、こうして実在していないのです。


さて、生まれてきてもいいという形になるまでの私達は、この世のどこに居たのでしょう?

はい、それは、これも当たり前なことに、母親の胎内に居たのです。

一体何億年かかったんだ?というほどの長い長い年月で繰り広げられた地球上の生物進化が、羊水の中にて、たったの10か月ほどで成し遂げられ、人間の形となったのです。


なので、生まれてくる前の私達は、母胎内にて夢のような速度で進化している最中だったというわけです。


羊水内では、おおよそエラ呼吸していたからこそ私達は生きていられ、進化するごとに魚類形から両生形へ、そして最後には哺乳類形へと、肺呼吸可能なまでに進化完了したからこそ、大気の有る母体外へと生まれ出たのです。


進化途中で、母胎内にての進化が止まってしまった場合、そのシグナルでもある心音も止まってしまい、それすなわち進化の途中である生命体の生命活動も止まったこととなり、母胎内に放置すると腐敗してしまうというような物質と化してしまいます。


私達の場合、そうはならなかったので、こうしてここに居ます。


母胎内での進化が止まらなかった私達は、人間形をして、そして肺呼吸を可能として、この世である大気の場へと出てこれたのです。

生まれてきた新生児が泣くのは、なにも悲しくて泣くのではなく、初めてである肺呼吸のさまが、鳴き声として現れるからです。


大気の場へと出てきた赤ちゃんが、出たと同時に分解されてしまったり、酸化されてしまったりしないことなど当然過ぎるほど当然だということから、誰も疑問視しないことなのでしょうが、何故、いきなり外へと出てきても平気なのだろうか?といえば、それは、母胎内に居た時から、体内と体外との間に膜の形成が成されていたからです。なので、生きている体内物質が体外へと漏れ出さない形状となっていたのです。


その膜が、謂わば皮膚です。

皮膚というのは、体内を体外から守るとても大事な組織です。

例えば、水風船。水風船の水は、風船という組織無しでは水のみなのであり、風船が破壊されればたちまち水は散ってしまいます。


新生児で70%以上の水分から構成された人体も、この原理同様に、皮膚が無ければ、体内物質さえも、生命体形成どころか形成以前に散っているということになり、皮膚が無ければ人間の形にすら成り得ず、それは単なる水分のまま状態ということと同様なのです。


この世の如何なる形においても、平面構造ならばアウトライン、立体構造ならばアウトカバーが無いと、それらは形を成し得ないのです。

更には、それら「膜」の性質が大気と化合してしまわない性質でなければ、形も構造も成し得ません。


◯△をいくら描こうとも、描くそばから消えてしまうような画材では描けません。

直方体や立方体をいくら造ろうとも、造るそばから溶けたり消えたりするような素材では、構造どころではありません。

大気と化合してしまわない性質でなければ、形も構造も成し得ないとは、こういうことです。


皮膚についても同様です。

大気と化合してしまわない性質を持つ組織で構成されているからこそ、皮膚は体内構造物のバリアとなっているのです。


よく言われている事柄に、『皮膚にはバリア機能がある』といった文言がありますが、この文言は、実際の皮膚からすると、少し違います。

正しくは、「皮膚=バリア」です。

なので、『老化や病等によって皮膚のバリア機能が弱まる』という言い方も少し違います。

正しくは、「老化や病等によって、皮膚というバリアの強度が下がる」です。


全ての生物は、人間で言う「皮膚」に相当する組織で覆われています。

だから形が成立しているのです。


尚、この「形での成立」というのは、陸上でも水中でも成立しているからこその形となっています。

また、水中と胎内とは、程近いというより同様です。

つまり、胎内である羊水内での形の形成と水中での形の形成とは、「単細胞であろうが多細胞であろうが、水中でも形が形成されている」という観点で同様なのです。


「膜」ないしは「皮膚構造」が、生物を形作るにおいて、形足らしめるにおいて、どれほど重要であり基礎的要素になっているかを、以上に述べてまいりました。


さて、ここで冒頭付近で書きました「一体何億年かかったんだ?というほどの長い長い年月で繰り広げられた地球上の生物進化が、たったの10か月ほどで成し遂げられて人間の形となった」ということを思い浮かべてみてください。


速度こそ違えど、地球と人体とが相似形であることにお気付きになるかと思います。

つまり、人間ひとりが生まれてくるまでのからくりは、地球上に人類が発生したまでのからくりと、相似形を成しているということです。


人間の場合、母親の胎内に胎児が自然発生するわけではなく、その前には決して等閑にできない「受精」という過程があります。


では、上記の相似形を、具体的にポジション化してみますところ、

「母体は、さながら地球」、

「母体における羊水は、さながら地球における海洋」となり、

では、「母体においての受精に必要な精子に対応するのは?」と問えば、

それは、「地球においての受精に必要な何かであった」ということが、自ずと導き出されてくるのです。

また、このことは同時に、、

地球上に人類が発生する以前、地球において「精子に匹敵する何かと、卵子に匹敵する海洋内物質とに、受精に匹敵する融合」が起きなければ、地球上には、人類はおろか、如何なる生物も発生し得なかったということにもなります。


守護水というものが、どのような理論の元で出来得たか、と申しますと、上記の理論から約出したのでございます。


これはつまり、人体(特に母体)と地球との相似形を前提に、地球において卵子と受精することを目的にやってきた精子に対応するものが何であったのかを推定し、それを探し、構造面での合致からそれを見つけ出し、母体の羊水に対応する海洋水内で、それを受精に匹敵する自然な方法で以て執り行い、おおよそ「生物の元の元構造である」と考えられ得る構造水を、発明というより生成させることに、当LABOは成功しました。


これが、守護水です。


守護水の構造には、まず以て、「人体を人体の形と成し得る皮膚」というバリアの、【構造そのものを正しくする】作用がございます。


強さというのは、必ずしも美しさを導きません、

しかし、正しさというのは、美しさを導きます。

美しさというのは、正しいというさまを目の当たりにした際に感じる二次的要素であり、これは、正しさを叶えた者だけが得られる、素晴らしい副作用であるとも言えるのです。


宇宙によって、そして宇宙の中の地球によって、それら体系の摂理によってでき得た構造だからこそ、この構造は、生命体においても宇宙規模で正しく、その構造の正しさを、
当 守護水は持っています。


この正しさを皮膚に纏うことによる、美への変化に、どうぞご期待くださいませ。


           

         守護水LABO代表 小髙 直美